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ママタイムズ

先輩ママの子育てコラム「今だから気付くこと」

「集団登校へは行けへんから」しれっと言う次男との攻防

2018/10/30

こんにちは。息子二人の母親となってから、すでに二十数年となる真柴みことです。
現在、長男ショウは大学4回生、次男ユウマは大学2回生。
たまたま同じ大学に進学したので、京都で二人暮らしをしています。
とりあえずは親の手を離れた息子たちですが、ここに至るまでは長い長い親子バトルの日々がありました。
 
ショウとユウマがまだ小学校低学年の頃から、私は子育てブログを書いていました。
二歳違いの兄弟の子育ては手がかかり、外とのつながりをほとんどなくしてしまった私は、日常生活に小さな風穴を開けたくてブログを始めたのです。
今、読み返してみると、懐かしさと一緒に当時の閉塞感までがよみがえってきます。
そして、「あ~、ちょっと頑張りすぎだよね~。」と苦笑することも多いのです。
当時の私には見えなかったことが、振り返ってみて初めて見えてくるのですよね。
ここでは、そんな「今だから言えること」を少しずつ書かせていただきたいと思います。
私の子育ての反省が、ほんの少しでも子育て進行中の方の参考になればありがたいです。

「かーさんのせいやからな!」

それはショウが小学四年生、ユウマが小学二年生のことでした。
当時、ユウマは毎朝、集団登校に遅れていました。
起きてきてもなかなか着替えず、朝ごはんもなかなか食べ終わらず、食べ終わってもなかなか歯を磨かず。
兄のショウに絡みにいってはふざけて遊ぶばかりです。

最初は、学校で何かあったのかな、と思いました。
学校で嫌なことがあるから行きたくなくて、朝の準備に時間がかかるのかな、と。
でも、毎日のように親しいお友達と遊んでいるし、ママ友にたずねても特に変わったことはない様子。
自宅は校区の一番端で、学校まで2km以上の道のりだったため、集団登校をしてくれないとかなり心配でした。

ほんの幼いころから、ユウマはマイペースな子供でした。
重い中耳炎から真珠腫を患い、本来なら言葉を覚えるはずの時期にほぼ耳が聞こえない状態ですごしたためか、自分の気持ちを口に出して伝えることが、当時はまだ苦手でした。
そういうこともあるので、
「早く準備して、集団登校で行こう。」
「朝ごはんは20分で食べ終わろうね。」
「急いだら着替えは何分でできるかな?計ってみよう。」
最初はかなり根気よく声かけをしたつもりです。
でも…
「かーさんがうるさすぎるから、僕が遅なるんや。僕が集団登校に遅れるんはかーさんのせいやからな!」
ユウマの言葉に堪忍袋の緒はブツリと切れて、以来、毎朝の親子バトルが始まってしまったのでした。

黙ってみること

毎朝のバトルに疲れてきた頃、私は一計を案じました。
「いっそ、黙ってみたらどうだろう。」
考えてみれば大人でも、いろいろと先回りして口を出されたなら、いい加減イヤになってしまいます。
正論をふりかざして諭された時など、「う~ん、でもねえ。」と逆に否定的な気持ちになることが多いです。
マイペースなユウマならなおさらのこと、こちらが黙っている方が逆に効果があるのでは、と考えたのです。

黙ってみること、1日目は少し効果がありました。
なぜ黙っているかを説明し、先回りして言わないからね、と念をおした後もユウマはしばらくぐずぐずしていましたが、いつもよりは支度が早く終わり、ぎりぎりで集団登校に遅れました。
ただ私が口うるさく言わない分、朝のリビングの空気は穏やかでした。

黙ってみること、2日目はかなり効果がありました。
いつもの習慣でゆっくり朝ごはんを食べていたユウマでしたが、おもむろに時計を見て、
「おっ、急がなあかん。」
それからはショウとふざけたりしながらも徐々にスピードを上げ、無事に集団登校に間に合いました。

黙ってみること、それからしばらくは順調に進みました。
私はイライラすることもなく、息子たちはきちんと集団登校に参加、学校までの道のりも心配せずに過ごすことができます。
「朝ってこんなに爽やかな時間だったんだな~。」
そう感じられた黄金期はしかし、わずか数日で頓挫することとなりました…。

「僕、集団登校へは行けへんから」

その日はまったく急ぐ様子もなく、ユウマはのんびり以前のペースで朝ごはんを食べていました。
黙ってみること、を実践中のため、私は口を出すことができなかったのですが、完全に集団登校に遅れることが確定する時間となったので、
「ユウマ、今日の集団登校、間に合わないね。」
と声をかけてみると、
「ああ、僕、今日から集団登校は行けへんから。」
「はあ?行けへんって、ええっ?」
「ちょっと行ってみたけど、みんな全然、ちゃんと歩けへんのやで。T君なんかふざけて車道へはみ出すんや。なんで僕だけちゃんと並んで歩かなあかんの?一人で学校まで行く方が楽や。」
「う~ん…。」
ユウマの言うことはもっともだと思いつつ、母としては複雑です。

とても矛盾したことなのですが、小学生男子の母としてはユウマのような理屈を言うよりも、ゆるくルールは守りつつ、みんなと楽しくふざけながら集団登校してほしい、という気持ちが少なからずあるのです。

ユウマとはそれからもたびたび集団登校のことについて話をしました。
自宅が校区の端だから、まだ一人では学校までの道のりが危ないこと。
雨の日などは兄のショウについて行ってもらわなくてはならないから、ショウにも迷惑がかかってしまうこと。
集団で行動する時には、多少の我慢が必要なこと。

ユウマは素直にうなずいて、でも自分の考えを変えることはなく、ショウに誘われて集団登校に行ったり、また行かなかったりを繰り返す毎日でした。

ユウマを動かした言葉

ユウマが滞りなく集団登校へ行き始めたのは、それから1年後のことでした。
同じ地区に新一年生が加わることになり、先輩としてその子のお母さんに声をかけられたらしいのです。
「まゆちゃんのお母さんにお願いされたんや。まゆちゃんを頼んどくね、って言われた。」
ずっと弟として育ってきたユウマは、それまで誰かに頼りにされた経験がありません。
まゆちゃんのお母さんに言われたことがよほど嬉しかったらしく、何度もその言葉をくり返していました。

確かに、先輩となったことが集団登校への参加のきっかけにはなりました。
ただ、ユウマの気持ちの成長には「1年」という時間も大切だったのでは、とも思います。

朝はずっとのんびり準備していたユウマが、まゆちゃんのお母さんに声をかけられて以来、
「僕が遅れたらあかんのや。」
と、あわてて支度を整え、家を出てゆきます。

自分の意思で動き始めたユウマは小学校を卒業するまで、もう集団登校に遅れることはありませんでした。

今だから言えること

子供には多少の無理をさせても集団のルールを守らせるのが親としての責任なのではないか、当時、一番悩んだのはそのことでした。
ユウマの理屈など聞き流し、
「集団登校のきまりは守る!一人だけ勝手なことしたらあかん!」
と、無理やりにでも集団登校に引っ張って行こうかとも考えました。
そうしなければ、ユウマが自分勝手なわがままを押し通す子供になってしまう気がして焦っていたのです。
なので、一人で登校させた一年間は精神的にかなり辛かったです。

でも、振り返ってみて今だから言えるのは、「子供は柔軟に変化する」ということ。
たかだか小学二年生の一年間で、その子の一生の性格が決まってしまうわけがありませんよね。
ユウマの集団登校のことに関しては、無理強いをしないで「待った」ことが結果的には良かったと思います。

当時は「なんでみんなと同じようにうちの子は行けないんだろう。」
と毎朝イライラするばかり。
もっと余裕をもって受け止めてやればよかったな、と反省です。
もちろん、今だから言えるのですが…。

子供は成長するにつれて柔軟に変化します。
しつけや理想はほんのひととき脇に置いておいて、ただ見守るだけの期間も大切なのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ライター紹介

真柴みこと

息子二人の子育てを終えてから、フリーライターとして修業中。
神社仏閣、自然の生き物が好きで、カメラを手にしつつ和歌山のあちらこちらを駆け回っています。
* Instagram   028mikoto
* note           http://note.mu/028mikoto