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名草戸畔(なぐさとべ)~名草地方にいた女王のお話~

2015年9月3日(木)
日本書紀や和歌山の伝承に登場する「名草戸畔(なぐさとべ)」をご紹介いたします。
和歌山にいくつも存在する「中言神社」。主に名草姫・名草彦が祀られている。<br>その中で、この吉原の「中言神社」が本社。
和歌山にいくつも存在する「中言神社」。主に名草姫・名草彦が祀られている。
その中で、この吉原の「中言神社」が本社。
みなさん、名草戸畔(ナグサトベ)、または名草姫をご存知ですか?
縄文時代から西暦200年ぐらいまで紀国(現在の和歌山)に存在していたと思われる、謎の女王のことです。
今から2000年以上も前の事で、伝説か昔話のような感覚ですが、日本書紀には以下の一文があります。

「6月23日、軍、名草邑(むら)に至る。則ち名草戸畔という者を誅す」
 
と書かれています。
「戸畔(とべ)」とは、女性首長を指す古い言葉で、「名草戸畔」とは「名草村の女性首長」という意味です。
私達の住むこの和歌山に縄文時代女王が?と聞いただけでも驚きですが、同時にどんな人だったのか、なぜ女の人が首長なのか?そのころの和歌山や先住民たちの様子は?暮らしは?…など、興味深いとは思いませんでしょうか?
名草戸畔についての詳しい文献は殆どなく、「口伝え」で名草山と名草地方(現在の和歌山市と海南市)で暮らす人たちの間で語り継がれてきました。

私が出会った一冊の本「名草戸畔(ナグサトベ)~古代紀国の女王伝説~」の著者、なかひらまいさんはその伝承を一つ一つ調べていくうちに一般的に語られていることと違う伝承を郷土史家・小薮繁喜氏と海南市「宇賀部神社(うかべじんじゃ)の宮司家出身・小野田寛郎氏から聞くことができたのです。
今回はほんの少しですが、数千年前に生きていた名草戸畔や先住民たちの物語をご紹介したいと思います。

今まで語られなかった「ナグサトベ」と先住民たちの物語

名草戸畔(ナグサトベ)は縄文時代、名草地方(現在の和歌山市・海南市)を治めていたとされる女王。

「日本書紀」に、九州から攻めてきた神武軍に「殺された」と一言だけ記されています。
しかし、和歌山市出身の郷土史家・小薮繁喜氏が70年もの間保存していた、名草小学校の演劇の台本や、ナグサトベの頭を祀る「宇賀部神社(うかべじんじゃ)」宮司家出身・故小野田寛郎氏の家に内々に語り継がれてきた「口伝」によると、「名草戸畔は負けていない」「神武軍は名草軍に撃退されて仕方なく熊野に行った。しかし最終的に神武が勝利し天皇に即位した。
そのため名草は降伏する形になったが、神武軍を追い払った名草は負けていない」「名草戸畔は殺されたのではなく戦死した」という一般で語られているのとは違う物語が…。

「名草戸畔」の著者なかひらまいさんは、これらの伝承を聞いて育ち、自分自身をナグサトベの子孫と信じてきたお二人の見ている古代の風景を描いてみたいと思い、このお二人が大事に守ってこられた伝承と膨大な資料をもとにこの本を書かれました。
なかひらさんが一つ一つ疑問点をを取材して調べていく様子がそのまま書かれているので、まるで読者である私も一緒にナグサトベを探している感覚になり、ナグサトベや先住民たちの生きている様子が少しずつ想像できていくところがとても面白いんです。
みなさんもぜひ手にとって頂きたいです。

どうして3つの神社に祀られているの?

土地の伝承には、ナグサトベの遺体を、名草の住民により頭、胴体、足の三つに分断し、頭は宇賀部神社(うかべじんじゃ)、胴は杉尾神社(おはらさん)、足は千種神社(あしがみさん)に埋葬されたと言われています。

ナグサトベの遺体はこのように三つに分断されて祀られているのですが、宇賀部神社ではナグサトベを小野田家のご先祖として宇賀部山のお墓に葬ったという説もあります。どうして3つに分断されたのかはわかりませんが、3つの神社には「宇迦御魂(うがのみたま)」という稲の神様が祀られているので、ナグサトベは「豊穣の神」であるのかもしれません。縄文の昔、古代名草の人たちは、女性首長を中心に母系家族社会を営み、半漁半農の素朴な生活をしていて平和だったが、恐ろしい自然災害を幾度も経験しながら生きてきました。

ナグサトベの頭を祀っている海南市の宇賀部神社。
宇賀部神社のある場所は昔の小野田城址。森のように木々に守られている。
「おはらさん」の名前で親しまれている杉尾神社はナグサトベの胴を祀っているとされる神社。

ナグサトベたちが神奈備(神の山)として信仰した名草山

古代の名草山のまわりは一面海…ぽっかり浮かぶ島だったそうです。

数千年前の和歌山…。一体どんな風景だったのでしょう?
名草山と現在の和歌山市が干潟となり陸続きになるのは、縄文時代の中期から後期。
それをきっかけに名草山をとりかこむ湿地帯「阿備の七原(安原、広原、吉原、松原、内原、柏原、境原)」に人々が住み始めたそうです。名草山は人々にとって山の恵みを授かる場所、神の山「神奈備」として信仰されていたとされています。あの名草山がです。印象が変わりますよね。

史実かどうかわからないという方もいらっしゃるかも知れませんが、何千年もまえから人が営みを積み重ねて今があるのは確かですし、戦争の時代などを経ても土地の人たちによって大切に語り継がれてきた伝承が残っていることも事実です。
名草戸畔を知ることで、今私たちが忘れている大切なものに気づかされるかも知れません。

そして、和歌山には名草戸畔の他にもたくさん古い歴史を感じることができる場所がいくつも残っています。和歌山の歴史を知ることで、もっと自分達の住む和歌山を好きになってほしいと思います。
劇団ZERO公演『名草姫』
会場:和歌の浦アートキューブ
開催日::2015年10月10日
第一部:なかひら まい講演 
第二部:『名草姫』公演(脚本:演出 島田 忠)
時間:昼の部 12:30会場 13:00開演
夕の部 16:30会場 17:00開演
チケット:1,000円
和歌山市市民会館2F事務局:073-432-1212
和歌の浦アートキューブ:073-445-1188

はるか紀元前、この地は、神の声が聞こえるものが代々治めてきました。
その王を戸畔(トベ)、女王では名草姫と呼ばれていました。名草姫と名草彦いにしえの時を超えて、美しくせつない想いがここにある。
紀の国わかやま国体文化プログラムでもある「紀の国女王伝説・現在に蘇る名草戸畔」。舞台で羽ばたく生きた伝承をぜひご覧ください。
名草戸畔や名草地方と関わりのある高千穂の方とインターネットでつながり、衣装を制作してくださったそうです。
衣装は忠実に再現するのは難しいですが、私たちのイメージを膨らませてくれますよね。
万葉ウォークと公演「なぐさとべ」
【ウォーク】
開催日:11月1日(日)
時間:8:30 JR黒江駅スタート
コース予定:黒江駅、名草神社、中言神社、竈山神社、熊野古道松阪王子、くも池など
参加費:500円※要予約
名草戸畔とゆかりの神社と故地をまわります。

【公演】
会場:海南市民交流センター
開演:14:30~
予約券:1,500円
当日券:2,000円
第一部:伝統の踊り、万葉の歌、万葉の歌と踊り
第二部:「なぐさとべ」
お問い合わせ・申し込み:090-7904-7786

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