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キラリ☆和歌山人

西平都紀子さん:「株式会社 信濃路」代表取締役社長

2015/01/09

今回のキラリ☆和歌山人は、株式会社信濃路の代表取締役社長を務める西平都紀子さんです。

「信州そば うどん 信濃路」をはじめ、和歌山県内で15の店舗を経営され、近年では海外へと活動の場を広げられている西平さんの原動力、そして地元和歌山に対する想いを伺いました。

西平さんが経営者として奮起するきっかけとなった鳴神店。
西平さんが経営者として奮起するきっかけとなった鳴神店。
――早速ですが、株式会社 信濃路の代表取締役にご就任され、今年で20年目を迎えられますが、就任当時の心境はいかがでしたか?

当時は経営者であった父が入院して3か月で急死してしまったので、引き継ぎも何もできていない状態でした。
私は店長をしていましたが、店長と経営者とでは違うものですから、決算書の見方もわからずどうしようかと思ってました。
父は5店舗を経営していたのですが、病気になってすぐに入院したので一度も店に帰れることなく亡くなったんですね。
想いがあって作られた会社ですので、父の気持ちを受け継ぎたいという思いと同時に、まず当時の社員の方に認められることが大事だと考えていました。
「この仕事ができて良かった」と社員の方に思ってもらえるような会社にするぞというところから、
私の戦いが始まりましたね。

――20年で15店舗を経営されるようになるまでに、どのような日々を送られたのでしょうか。

朝9時から夜9時まで毎日働きました。休み無く。
包丁の使い方や天ぷらの揚げ方など、一からの勉強です。
31歳でしたが、それまでは好きなことをして好きなように生きてきました。
しかし自分が成長しなければ部下の成長もないと思い、まず異業種の団体である青年会議所に入りました。
メンバー200人中、高学歴の男性が殆どで、女性は私含め3人しかいなかったんです。
高校中退、ただの蕎麦屋で女性である私が、違う世界でどこまで通用するのか、しないのかを試してみようと思いました。女を捨てて飛び込みましたね。
そして、同業種の団体である大阪外食産業協会(ORA)に入ることで、経営を学びました。
この二つに所属して、いろんな悔しい思いもしましたが、一人間として認められる存在になったのかなと思います。
これが40歳までですね。とにかく最初の10年間は自分との戦いでした。
西平さんおすすめの「カレーうどん」<br>是非味わってみて下さい!
西平さんおすすめの「カレーうどん」
是非味わってみて下さい!
――人生が大きく変わっていったのですね。内面での変化はいかがでしたか?

青年会議所では社会貢献なども学ぶことができて、今まで関わりのなかったジャンルでの友人もたくさんでき、以前は「嫌いな人は関係ない」と思っていましたが、嫌いな人さえも受け入れられるようになりましたね。

――それからの10年間はいかがでしたか?

青年会議所を40歳で卒業した後、それだけでは勿体ないと思い、仕事を通して地域を活性化できる活動はないだろうかと考えるようになりました。
そして「紀州よさこい祭り」をやろうと。
そこからはまちおこしというか、お祭りをしたり、「Jリーグチームを和歌山から作ろう」といった活動を始めました。
お店は信頼できる社員の方々に任せ、私はそういった活動をさせていただきました。
で、51歳になった現在、再び仕事を頑張ろうかなと(笑)
50歳って「うわ、もう半世紀も生きたやん」と思うのですが、51歳になると、新たな人生が再びスタートしたような気になるんですよね。
また新たな挑戦が始まるのかなという感じです。

――20年間、様々なことがあったと思いますが、辛いとき、挫けそうなときはどのようにして乗り越えてきましたか?

本当に色々ありましたけど、私は楽天的なので、あまり落ち込んだりっていうのは無いんですよ。
嫌なことがあったら寝ますし(笑)
何で私にばっかり困難が訪れるのだろう、と思ったりもしましたが、これは神様が私を試してるんだ、もう一回り、二回り成長できるチャンスなんだと思って、奮い立たせていました。
「命まで取られへんやろ」と思うと、なんとかなると思えてくるんですよ。
あったことをしっかりと受け止めて、嫌なことから逃げない。
逃げてると余計によくない方向へ行ってしまいますから、嫌なことは後回しにしないことは心がけてます。
そしてやっぱり社員さんたちの頑張りを見ていると、しっかりしなくてはと改めて思いますね。
たくさんの方に支えられています。
信濃路の新スタイル店舗「しなの路 秋葉」<br>一味違ったお楽しみを提供する。<br>
信濃路の新スタイル店舗「しなの路 秋葉」
一味違ったお楽しみを提供する。
こだわりの感じられる「しなの路 秋葉」の内装。
こだわりの感じられる「しなの路 秋葉」の内装。
――私も楽天的なほうなのですが、落ち込むときはすごく落ち込みます(笑)

よっぽどもうだめだというときは、鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」に行っています。
その場所から行きの燃料だけを積み戦地へ向かった15、16歳の子たちの遺書には「命なんて惜しくない」と記されてありますが、実際、怖くない子など誰もいなかったと思うんです。
戦争の是非は別にして、彼らがいたから自分が現在ここにいるのだと感じ、彼らの存在を忘れてはならないと思います。
そういったことを考えていると、自分の現状に落ち込んではいられないと、勇気をもらって帰ってこれるんです。

――知覧特攻平和会館は幼い頃に行ったことがあるのですが、今また行ってみると違った捉え方ができそうですね。
西平さんは様々な御活動をされていますが、フットワークの軽さの秘訣はありますか?


私は元気だけが取り柄で、人との出会いを大事にすることで色々な動きができていると思います。
ちょっと大変でも、その先で何かいいものに出会えたり、掴めたりしたら行ってよかったと思えますし、社員さんのためになるなら、なんでもできると感じます。
やっぱり勿体ないですよね、人生は一度なので。
でも、面倒くさいことは嫌いです(笑) やりたくないことはやりません。
とはいえ、仕事が大好きなので、あまりしんどいと思ったことはないですね。

オーストラリアのブリスベンにある「MITOKI-美時-」<br>美味しい日本食を海外の方にも楽しんでいただきたいという想いで開かれた。<br>
オーストラリアのブリスベンにある「MITOKI-美時-」
美味しい日本食を海外の方にも楽しんでいただきたいという想いで開かれた。
――西平さんから見た和歌山はどのような場所ですか?

和歌山を活性化したいという想いでお祭りなどの企画をしていますが、随分変わってきたんじゃないかなと思います。
やっぱりみんながもっと楽しく、もっと好きになれるような、郷土愛の持てる和歌山であってほしいです。

――では、西平さんの今後の展望をお聞かせください。

私は和歌山が大好きなので、今後は和歌山と海外の架け橋になりたいです。
「日本と海外」ではなく「和歌山と海外」というふうに考えています。
今年は、海外で出店という形ではなく、教育とプロデュースを柱に動いていこうと思っています。
現在は、ベトナムで日本の教育を普及しようと活動しています。
ベトナムでは日本語が話せると、お給料が3倍も違ってくるという現状で、日本語教育で人の人生が変わるんです。
そのお手伝いをしていきたいです。
そしていろんな人が和歌山に来て、文化に触れてくれたら嬉しいですね。

◆編集後記◆
とても気さくな方で、お話していると「なんだか私も頑張れそうな気がしてきた!」と元気をいただけました。
ここでは入りきらなかった数々のエピソードも刺激的で面白く、一度きりの人生を楽しみ切ろうという西平さんの生き方に触れることができたような気がします。
強く楽しく生きることによって、人にいいものを与えられる、そんな素敵な方でした。
今後の御活躍もとっても楽しみです!
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