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和歌山・内川で水上レストランや船の運行、SUPも!80人以上のアイデアで未来へつなぐ「第1回ミズベ会議」

江戸時代~現在、水辺文化の先進事例・北浜テラスまで 水辺の歴史とこれからに向けて

水辺でどんな楽しみ方ができるでしょうか?
アクティビティでなくても、川を眺めてたり、川辺を歩くと気分が落ち着きますよね。仮にその川が街中にあったら、どのような使い方ができるでしょう。

 和歌山市には和歌川、大門川、市堀川、有本川、真田堀川の5つの川を総称した内川があります。内川の一部は中心街に流れていて、全国でも珍しい地形です。
 
 1月25日に行われた「第1回ミズベ会議」は、水辺でやりたいことを掲げた80人以上が集まりました。「ミズベ会議」は今回を含む全3回が開催され、内川で実現したい未来と、実際に起こすアクションを話し合う機会です。行政は住民の要望を知り、民間は規制がある川辺のアイデア話し合う機会になります。さらに水辺が好きな人が集まって、行政と民間の垣根を越えて協力していく、未来型のまちづくりです。

去年 12月19日行われたキックオフイベント「ミズベドリンクス」のイベント後日記事はこちら。

和歌山・内川でやってみたいあんなこと、こんなこと

 イベントでは「内川でやってみたいこと」をテーマに、アイデアを出し合うワークショップが開催されました。大学生から年配の方まで、立場を超えて自由な発言が飛び交いました。
 出てきた意見は盛りだくさん。水上バス、水上パレード、船Bar、川の駅、水上農園、潮干狩り、水の生き物観察、川ダイビング、サーフボードを立漕ぎするウォータースポーツ・SUP(サップ)、水と音のイベント、水上ヨガ、他にも「内川と和歌山城の川をつないで船で出入りしたい」や「水辺が人とまちを繋ぐきっかけになって欲しい」という声もありました。
ワークショップの様子
ワークショップの様子

江戸時代から始まる、内川の風情溢れる歴史

 ここからは「内川のこれまでの活動について」水辺総研・滝澤恭平さんの講義をもとに、内川の歴史を見ていきます。

 内川は古くから地元の人に、親しまれていました。
出展「紀伊国名所図会. 後編(一之巻)」より 賑わう城下町の様子
出展「紀伊国名所図会. 後編(一之巻)」より 賑わう城下町の様子
出展「紀伊国名所図会. 後編(一之巻)」より 賑わう城下町の様子
出展「紀伊国名所図会. 後編(一之巻)」より 賑わう城下町の様子
 江戸時代、庶民は川の風景を楽しみ、町屋には川に向いた建物がありました。今の京橋あたりは土産屋があり、水辺に面した歩道は公共空間として賑わいがあったそうです。船は交通手段として活躍。幕府にとって川は防衛として機能し、今でも石垣の名残が見られます。浮世絵からは城下町・和歌山が、内川と人が近い距離感で暮らしていたことが伺えます。

 昭和に入ると牡蠣を船の上で料理をする「牡蠣船」や、水園に突き出した「かもめ食堂」があり、川床のように水辺で食事を楽しむ場所が生まれました。私のおばあさんの話では、当時は内川で人が泳ぐことが出来るほど水質がとてもきれいだったと言います。他にも内川は材木を浮かべた保管場所になり、産業としても使われていました。

 戦後は焼け野原から復興で川沿いに家が建ち並び、今のまちの基盤になりました。1998年アクアルネサンス事業で、水辺の遊歩道が整備されました。

 時代ごとに形は違えど、いろんな楽しみ方をしてきた和歌山の内川。しかし近年は水質問題や規制で、楽しむことが減っているのではないでしょうか。

せき止められた内川の歴史

 ワークショップではやりたいことがたくさん上げられましたが、実際に内川の水質は美しいとはいえません。「内川をきれいにする会」副会長 ・野井和重さんから内川の現状がお話しされました。

 内川は昭和50年代戦後に、工場などの建物が立ち並び、工場排水や生活排水が多量に流れ込みんだことで、水質が著しく悪化しました。
  その水が和歌浦に流れたため、一時は海苔の生産ができず、木箱を沈め和歌浦への流水をせき止める対策がとられました。他にもさまざまな対処をしましたが、昭和52年和歌川ポンプ場に水門を作り、流れをせき止めたことで、内川の循環がとまりました。現在でも内川は、時間になると流れが逆流し、水が行ったり来たりしています。今は大門川の農業用水を流水して薄める、下水道処理など少しずつ水質改善をしています。それでも家庭排水が川の汚染を6割を占める状況で、まだまだ改善が必要です。
 
 このような状況から魅力的な水辺に変わるには、どのような方法があるのでしょうか。
ここで大阪の水辺文化を盛り上げてきた先駆者が、登場しました。

アイデアを現実にするキーワードは、未来から逆算プランニング!「水都大阪」に学ぶ、欲しいまちの作り方

 水辺に関わる人は行政、不動産オーナー、民間、市民といろんな立場の人がいます。そんな人たちをまとめ、「水都大阪」という水辺プロジェクトを次々に実現した、北浜水辺協議会理事・松本拓さんの手腕を最後にご紹介したいと思います。
講演する松本拓さん
講演する松本拓さん
 松本さんの話ではアイデアが浮かんだ時、大切なのは未来からプランニングすることだそう。目標を立てる時に現状から考えると、可能性が小さくなります。それを防ぐために真っ白な状態で「実現したい未来」を設定し、少しずつ実行していきます。未来像から何をすべきかを考えるとも言えます。

 松本さんが手がけた「北浜テラス」は大阪・中之島公園の対岸にあり、土佐堀川に面している常設の川床です。川沿いに並んでいるカフェやレストランを中心に、現在11店がテラスを作り、食事をしながら川の景色を楽しめるようになっています。
北浜テラスの様子
北浜テラスの様子
北浜テラスからの景色
北浜テラスからの景色
 「北浜テラス」を例にすると、もともと地域住民や水辺に関わる人から「バルコニーを作って、川の景色を楽しみたい」という声がありました。しかし住民は河川法などの規制があり、どこから手をつければいいかわからない状態だったそうです。

 そこで有志を集めて話し合い、自分たちの目標は「北浜の魅力的な水辺の風景を創出する」だと決めた松本さんは、「やることが大切だ」と小さなアクションをおこします。

 2007年に水辺に面しているビルの足場を見つけ、実験的に川床テラスを行います。当時の写真からはどこにでもある足場に、お酒と食べ物を並べて、川の景色を楽しむ気持ち良さそうな姿が伺えます。実際に未来像を見せることで、関係者に説得力が増したと言います。そして多くの人の支持を得て、何度も開催。行政と話し合いを重ね、2009年常設に至りました。もちろん実験時から、行政への許可はとっています。

 まずはやってみる、そして支持者を得て、さらにアクションを大きくしていく。これはまちづくりだけではなく、自分たちの目標実現にも有効な方法ではないでしょうか。重要なのは「私は」「私たちは」という当事者意識を持つこと、段階的に評価し目標からぶれないようにすることだそうです。

 イベントが大きくなるにつれ、いろんな問題や新たな意見も出てきます。それでも「実現したい目標」を共有することで、一丸となり課題を解決していきます。今は船宿や水上タクシー、水上Barなどが検討されているそうです。

 大阪のように、和歌山の水辺も楽しめるのではないでしょうか。実際に行われている北浜の事例はいい刺激になり、ワークショップでもたくさんのアイデアを引き出してくれました。次回はこの手法を使い、ワークショップで出た意見をまとめ、未来からのプランニングを行う会議が開催されます。次回からでも参加可能。興味のある方は、行ってみてはいかがでしょうか。


「第2回ミズベ会議」2月10日18時30分 「みんなの学校」(和歌山市米屋町)
 「わかやま水辺プロジェクト」第2回開催詳細または、フェイスブックページにて 

ライター後日談

 川には地域の豊かさが詰まっているのではないでしょうか。忘れられてしまった、内川の情景。昔に比べると今は寂しい気がしました。そんな状況を変えよう、川をもっと楽しみたいと集まったのがこの「ミズベ会議」。第2回、第3回も開催される予定ですので、興味がある方は、次回から参加してみてはいかがでしょうか。
IKUE
和歌山市在住。30代女性。「和歌山をみんなで楽しく暮らす」をモットーに、まちの面白いこと新しい試みを発信していきたいです。